古賀春江
《素朴な月夜》
1929年 油彩・カンヴァス
古賀春江は松田諦晶に絵を教わり、上京後は太平洋画会研究所と日本水彩画会研究所で学びます。浄土宗寺院の長男である古賀は、1915(大正4)年僧籍に入り良昌と改名、春江を呼び名としました。宗教大学(現・大正大学)にも一時通いましたが、1918年に辞め、その後は画業に専念します。1922年の二科賞受賞を機に前衛グループ「アクション」の結成に参加、1926年頃からはパウル・クレーの作品に依る童画風表現へと転じました。
1929(昭和4)年、古賀はこの作品と《鳥籠》(cat. no. 161)を含む5点を第16回二科展へ出品しました。月夜に飛ぶ梟と蝶、煙を上げながら降下する飛行機。卓上には果物や卵、酒瓶、花瓶の花、さらには建物の一部が載っているかのようです。全身水玉模様の人物や、こちらを見ている犬も不気味な雰囲気を醸し、読み解こうにも読み解けない不思議な世界が広がります。脈絡のないモティーフの並置や奇妙な配置によって幻想的な世界を表す手法に、西洋美術の新潮流シュルレアリスムとの関連が当時から指摘され、東郷青児や、阿部金剛、中川紀元の二科展出品作とともにその作風は注目を集めました。
1931年に刊行された『古賀春江画集』には、31点の作品図版と自作の詩が解題として付されています。この作品の詩には、唯一共通のモティーフとして「白いまん丸い月」が登場しますが、「私」が水の中の底のほうへ歩いて行き、鉄張りでできた海豚のお腹の中へ入って行くという作品とは関連のない内容が表されています。
1929(昭和4)年、古賀はこの作品と《鳥籠》(cat. no. 161)を含む5点を第16回二科展へ出品しました。月夜に飛ぶ梟と蝶、煙を上げながら降下する飛行機。卓上には果物や卵、酒瓶、花瓶の花、さらには建物の一部が載っているかのようです。全身水玉模様の人物や、こちらを見ている犬も不気味な雰囲気を醸し、読み解こうにも読み解けない不思議な世界が広がります。脈絡のないモティーフの並置や奇妙な配置によって幻想的な世界を表す手法に、西洋美術の新潮流シュルレアリスムとの関連が当時から指摘され、東郷青児や、阿部金剛、中川紀元の二科展出品作とともにその作風は注目を集めました。
1931年に刊行された『古賀春江画集』には、31点の作品図版と自作の詩が解題として付されています。この作品の詩には、唯一共通のモティーフとして「白いまん丸い月」が登場しますが、「私」が水の中の底のほうへ歩いて行き、鉄張りでできた海豚のお腹の中へ入って行くという作品とは関連のない内容が表されています。
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