拡大《自画像》

中村彝

《自画像》

1909-10年  油彩・カンヴァス

旧水戸藩士の三男として生まれた中村彝は、幼い頃に両親と姉、ついで兄を亡くしました。自身も肺結核のため体が弱く、療養をかねて各地で水彩のスケッチを描き、画家を志すようになります。白馬会研究所や太平洋画会研究所で修業を積み、新宿の中村屋裏のアトリエに移り住んで、家主の相馬愛蔵・黒光夫妻を慕って集う若い芸術家たちと交流しました。
この作品は、彝が22歳の頃に描いた自画像です。画面に対してやや斜めに構え、画家の額を頭上からの光が強く照らし出すという構図は、レンブラントの自画像からの強い影響を示しています。この作品は描かれた表情から「にがむし」というあだ名がついたとされていますが、レンブラント初期の自画像にも故意に表情をゆがめたものがしばしば見受けられます。友人で彫刻家の中原悌二郎の回想によれば、彝は1909(明治42)年頃丸善で高額のレンブラントの画集を購入し、手垢で真っ黒になる程繰り返し眺めて研究していたといいます。彝はこの時期レンブラント風の自画像を複数制作しており、この作品はそれら一連の集大成ともいえる高い完成度を示しています。彝自身にとっても、自ら書簡の中で「私の代表的のもの」と語るほどの自信作でした。この作品は1910年の第4回文展に出品され、三等賞を受賞した印象派風の《海辺の村(白壁の家)》(1910年、東京国立博物館)とともに入選を果たしました。

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