芸術において、人は何も創造しない! 自分自身の気質に従って自然を通訳する。それだけだ!

高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』岩波文庫

オーギュスト・ロダン

「近代彫刻の父」と称される19世紀フランスの彫刻家オーギュスト・ロダン(1840-1917)は、彫刻の伝統を打ち破り、彫刻に革命をもたらしたことで知られます。力強い彼の彫刻は、発表当時スキャンダルになりました。たとえば《青銅時代》はモデルから直接型を取ったとの批判を受けました。当然ながらロダンは自らの手で彫刻を制作したのですが、当時の人たちの目には、あまりにも生々しい作品に思えたのです。

カミーユ・クローデル
オーギュスト・ロダン《カミーユ・クローデル》1889年
、 ブロンズ

1854年、14歳のロダンは帝国素描・算数専門学校に入学し、1857年までの4年間、素描や彫刻の勉強にいそしみました。ここで素晴らしい成績と才能をみせたロダンですが、国立美術学校の入学試験に失敗し、建築装飾の職人として徒弟修行することになりました。その一方、自然史博物館で動物彫刻家アントワーヌ=ルイ・バリーの授業に出席するなど、自らの勉強をつづけました。「自然に深く注意するように私をさせ、また自然を会得する事の必要を私に教えて、私が自分一人で歩けるようになるまで私の芸術上の教育を導いてくれたのは彼[バリー]です」。革新者のイメージの強いロダンですが、先人たちを大いにお手本にしていました。

芸術家が表現すべきは自然の外面のみならず内面の真であり、芸術家はその「通訳」をするのだと、ロダンは考えました。「私はいつでも筋肉の動きによって内面の気持ちを出そうとしました」。女性彫刻家カミーユ・クローデルは、ロダンの弟子であり、助手であり、モデルであり、24歳年下の恋人でもありました。激しい性格の女性とも言われますが、ロダンによるカミーユの肖像彫刻は、細部の表現を省略し、大胆に肉付しつつも、若々しくもの静かな表情を見せています。ここには、ロダンを通して見たカミーユの内面があらわされているのでしょう。

今年2017年はロダン没後100年にあたり、母国フランスでは大規模な回顧展が開催されました。ロダンの作品は日本でも早くから紹介されており、1916年には高村光太郎訳編『ロダンの言葉』が、1920年には『續ロダンの言葉』が刊行されました。ロダンの言葉は、彼の芸術観を知ることのできる貴重な資料で、その後もさまざまなかたちで書籍化されています。図書館等で見かけたら、ぜひお手に取ってみてください。

学芸員:賀川恭子

※ロダンの言葉はすべて、高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』岩波文庫より引用。

青銅時代
オーギュスト・ロダン《青銅時代》1904年、ブロンズ
牛
アントワーヌ=ルイ・バリー《牛》ブロンズ