ふたつの旅

展覧会構成

第1章

出会い

1882(明治15)年、現在の福岡県久留米市に生まれた青木繁(1882-1911)と坂本繁二郎(1882-1969)。第1章では森三美の画塾での二人の出会いから、青木の上京と画壇デビュー、追って上京した坂本との青春時代を辿ります。
森田恒友、青木の恋人である福田たねらと出かけた千葉県布良への写生旅行では坂本の目撃談から青木の代表作のひとつ、《海の幸》が生まれます。

町裏

坂本繁二郎《町裏》1904年 個人蔵

坂本繁二郎像

青木繁《坂本繁二郎像》1902年 個人蔵 
*前期のみ展示

海の幸

青木繁《海の幸》1904年 重要文化財 石橋財団アーティゾン美術館蔵

第2章

別れ

1907年3月、青木と坂本は東京府主催の勧業博覧会に挑みます。不本意な結果に終わった青木と画壇において初めて評価を受けることとなった坂本。この結果は二人の運命の別れ道となりました。同年の8月、父危篤の知らせを受け久留米へ戻った青木は、経済的難問を抱えて九州各地を放浪の末、1911年に28歳で亡くなります。一方、坂本は第一回文展に入選、1910年には結婚し、妻、母を伴って三人で上京するなど、公私ともに充実期を迎えようとしていました。
青木の死後、坂本や友人たちの尽力により、その作品は世に知られるところとなります。石橋正二郎は、高等小学校時代の師坂本の、夭折した青木の作品が散逸するのを惜しみ、作品を集めて美術館を建てて欲しいという願いを聞き、青木作品の収集を進めます。それらは、1952年(昭和27年)に創設されたブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館)で公開され、1956年、石橋美術館(現久留米市美術館)開館の年にははじめての二人展「青木繁・坂本繁二郎作品展覧会」も開催されました。

大島の一部

坂本繁二郎《大島の一部》1907年 福岡市美術館蔵

わだつみのいろこの宮

青木繁《わだつみのいろこの宮》1907年 重要文化財 石橋財団アーティゾン美術館蔵

二人の少女

青木繁《二人の少女》1909年 笠間日動美術館蔵
*前期のみ展示

張り物

坂本繁二郎《張り物》1910年 個人蔵

第3章

旅立ち 坂本繁二郎

青木の死後、坂本は房総半島御宿にて制作に没頭します。《うすれ日》(1912年、三菱一号館美術館寄託)が評価されたことに自信を得て牛を繰り返し描きますが、仲間からの強い勧めもあって留学を決意します。
1921(大正10)年9月、パリに到着した坂本は、自然を求めてパリ郊外やブルターニュ地方に出かけて写生したり、自室アトリエで人物画制作に励みます。3年間の充実した留学生活を終え、帰国後は東京ではなく、家族の待つ故郷久留米にもどりました。そして、1931年には、久留米近郊の八女にアトリエを構え、1969年のその死まで、馬、果物、箱や月といった身近なものを題材に制作三昧の生活を続けます。

熟稲

坂本繁二郎《熟稲》1927年 倉敷紡績株式会社蔵

髪洗い

坂本繁二郎《髪洗い》1917年 大原美術館蔵

植木鉢

坂本繁二郎《植木鉢》1959年 油彩・カンヴァス 久留米市美術館蔵

水より上がる馬

坂本繁二郎《水より上がる馬》1953年 株式会社鉃鋼ビルディング蔵

第4章

交差する旅

第4章では、二人が唯一同じ題材をモティーフにしたとされる能面を描いた作品や「壁画」への挑戦が読み取れる作品をご紹介します。
また、展覧会の最後には、二人が最晩年に描いた作品が展示されます。海上を照らす朝日が描かれた青木《朝日》と、雲に隠れながらも穏やかな光を放つ月が描かれた坂本《幽光》。朝日と月という主題選択やその描写表現においても、二人の対照的な性格が表れているようです。

能面と鼓の胴

坂本繁二郎《能面と鼓の胴》1962年 石橋財団アーティゾン美術館蔵

享楽

青木繁《享楽》1903-04年 大原美術館蔵

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