2月21日の土曜講座は、アーティゾン美術館学芸員の新畑泰秀が、モネが滞在し、新境地を切り拓くきっかけを見出した、フランス北西部のブルターニュ地方にある島、ベリール=アン=メールと、その地が彼の芸術にどのような影響を与えたのかについて紐解いていきます。
同時代性を意識していたモネ ―
本展に関して
本題に入る前に、開催中の展覧会 モネ没後100年「クロード・モネ ―風景への問いかけ」について簡単にご説明します。これまで、モネに関する展覧会は数多く開催されてきました。年代と場所に沿って画業をたどる本展は、時代ごとにモネを追った、一見すると非常にオーソドックスな展覧会構成です。ですが、本展はもうひと工夫された展覧会となっています。すなわち歌川広重や葛飾北斎の浮世絵や、エミール・ガレをはじめとするアール・ヌーヴォーのガラス作品を、単なる「関連展示」としてではなく、モネの視覚経験や芸術的な立ち位置を考える上で重要な要素として紹介しています。これは、モネは自然との対峙だけで作品を成立させたわけではなく、同時代の多様な視覚表現と交錯しながら形成されていったことを、展示の場で具体的に確かめられるようにするためです。
本展監修者のオルセー美術館のシルヴィー・パトリ氏は、モネが新しい様々な風景を創造するにあたり、近代的なガラス屋根で覆われたサン=ラザール駅を、「féérie(フェーリー)」という言葉で言い表しました。フェーリ―はフランス語で「妖精の国」を意味しますが、モネはこれを「夢のように美しい風景」という意味で使いました。モネの知覚、創造の中心にはこの「féérie(フェーリー)」という概念があります。本展ではこの「féérie(フェーリー)」という言葉を軸に据えた構成となっているのです。
ちなみに、アーティゾン美術館とモネの関係は、創設者の石橋正二郎が1903年制作の《睡蓮》を入手したときから始まります。この作品は当館の前身、ブリヂストン美術館開館以来コレクションの核として親しまれてきました。また、今回の展覧会は本来でしたら2020年に開催される予定でしたが、コロナ禍のため、複数回延期され、今回ようやく開催の運びとなりました。
太陽の画家が「荒れた海岸」を
選んだ理由
モネが1886年に旅行し、作品を残したブルターニュ地方の島、ベリール=アン=メールと、その滞在が彼の印象派時代を超越していく契機となったことについてお話ししたいと思います。ベリール島は面積は約84平方キロメートル、現在も人口約5,600人が暮らす島で、規模感で言えば伊豆大島くらいと言えるでしょうか。モネが関心を寄せたのは、ベリール島の南西部の断崖と岩礁が連なる海岸線でした。「コート・ソバージュ(荒れた海岸)」と呼ばれる場所で、観光的な風景とは言い難い、むしろ自然の荒々しさが前面に出る地形です。モネがその場所を選び、熱心に向き合ったこと自体が、彼の転換期を示す重要な事実だと考えられます。
1880年代、モネは頻繁に旅行に出かけるようになりました。1883年にはルノワールとともに地中海を訪れ、故郷のエクス=アン=プロファンスに戻っていたセザンヌを訪ね、さらに北イタリアにも赴いています。1884年には北イタリアを一人で再訪し3ヶ月滞在。また1883年から86年にかけてはノルマンディー地方のエトルタへ、そして1886年にはオランダを訪れて花盛りのチューリップを描いています。
モネは、ベリールを訪れるまでは印象派時代の作品にあらわれているように明るい風景を描いていました。モネはベリール滞在中、画商のデュラン=リュエルに「私は『太陽の人』であるのかもしれません。しかし、この評価に甘んじていてはならないと思っています」と手紙を書いています。モネは明るい日差しの風景を描く画家(たとえば、1872年頃制作の《アルジャントゥイユのレガッタ》にみられるように)であるという外部の評価を自覚しつつ、その枠にとどまっていたくないという姿勢がはっきりと現れています。
モネのベリール滞在の予定は、当初は短期間であったようですが、結果として約10週間に及び、制作点数は39点に達しました。アーティゾン美術館の1886年の《雨のベリール》は、その典型的な作品と言えるでしょう。荒天の海、白波が立つおおしけ、暗色の岩礁を画面の中心に据え、前後に重ねて遠近を作っています。筆致は荒々しく見えながら、画面は綿密に構成され、躍動感が生まれています。いわゆる「睡蓮」のモネ、あるいは印象派時代の明るい風景のモネからは、明らかに質が異なります。
批評家、ギュスターヴ・ジェフロワ(1855-1926)はこの時、実際にモネをベリールに訪ね、モネのベリールでの制作の様子を目の当たりにしまいた。その時の模様を「突風でパレットや絵筆が手から離れてしまうこともあった。制作道具が飛ばされぬよう、イーゼルを石に紐で固定していた」とジェフロワは描写しています。ベリールは単に「興味深い、景色の場所」ではなく、画家の身体を駆使して描く、これまでにない制作を試す現場でもあったのです。
ベリールの地図は『ジュニアガイド』 P.2よりご覧いただけます。
ジュニアガイド(PDF)はこちら
ベリールからの手紙から見る
モネの転機
モネは、ベリール滞在中に家族や画商、友人たちに頻繁に手紙を書き、制作の進捗や、画家としての葛藤や興奮まで率直に、そして具体的に残しています。たとえば、後に2番目の妻になるアリスには、島の集落に滞在しながら制作に励んでいること、岩が「幻想的な岩礁を伴って比類なく美しい」こと、そして風が強すぎてカンヴァスを縛らなければならないことを書いています。別の手紙では周囲に樹木がほとんどないこと、岩礁や洞窟が「悪魔が出てきそうだ」とも書き綴っており、モネがこの土地を”美しいだけの場所”として見ていないことがわかります。
友人で画家のギュスターヴ・カイユボット(1848-1894)には、「ここはかなりの未開地です。岩は不気味で硬い」といった表現が出てきます。さらにアリス宛には「私は心身ともに…眠ることもできません。この海は本当に美しい」と、興奮の度合いがそのまま伝わる文面もあります。光を追う画家の冷静な観察と、自然に呑み込まれそうになるほどの情動が、同じ書簡群の中で同居しているわけです。
そして、後の連作に繋がる言葉も見受けられます。モネはアリスへの手紙に「海をうまく描くには、毎日毎時間同じ場所で海を見て、その場所でその状態を理解する必要がある。だからこそ同じモティーフを4回も6回も繰り返して描く」と記しています。これは後のルーアン大聖堂の連作や睡蓮の連作に通じる「同一モティーフを異なる条件で反復する」方法が、すでに自覚的に語られていることを意味しています。
こうして仕上がった作品をモネはジヴェルニーに持ち帰りアトリエで仕上げます。彼は現場で描き、さらに持ち帰って熟成させる手法を取りました。こうして完成したベリールの作品は暗い印象である、と戸惑う声もあれば、強さや新しさを見抜く批評もありました。ただ、旧知の画商、デュラン=リュエルはこれらの作品を積極的には買い入れませんでした。最も近いところにいた商業的パートナーにとっても扱いが難しい新作だったということです。
ベリールでのこうした作品の様式は、17世紀フランスの画家、ニコラ・プッサン(1594-1665)や、イギリスのロマン主義を代表する画家、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)など先人の巨匠たちが描いた、大洪水や嵐の光景の様式も参照し、自らの絵画様式の幅を広げていったと考えられます。親しい画商や画家仲間には、モネのそれらの作品は賛否両論だったようですが、モネのベリール滞在は、彼にとって大きな転換点だったと考えられるのではないでしょうか。
Photo © Musée d'Orsay, Dist. GrandPalaisRmn / Patrice Schmidt / distributed by AMF
芸術家にインスピレーションを
与える土地、ベリール
ベリールにインスピレーションを得たのはモネだけではありません。オーストラリアの画家、ジョン・ピーター・ラッセル(1858-1930)は、モネよりも先にベリールで制作をした画家として知られており、モネは画題探しの参考にしていたようです。また、アンリ・マティス(1869-1954)は1896年にベリールを訪問して以降、この訪問をきっかけに大きく変化したようです。マティスがフォーヴィスムの様式をはじめたのはそれからまもなく、20世紀初頭のことでした。
そして、21世紀に入り、当館が所蔵する《雨のベリール》をモティーフにアーティストの毛利悠子さんが作品を制作しています。アーティゾン美術館では、「ジャム・セッション」という、石橋財団コレクションと現代のアーティストとの共演により、美術の新たな可能性を探るシリーズ展を行なっています。2024年の「ジャム・セッション」では、毛利悠子さんが、《雨のベリール》を題材にした新作を発表しました。彼女は、ベリールに赴いてモネの軌跡を追体験し、映像やピアノを使ったインスタレーションを制作されたのですが、現地は風が非常に強く、高低差が激しく、モネが絵を描いた場所にたどり着くまでにかなりの肉体的負担がかかったといいます。毛利さんは電子機器を使う作家ですが、この電子機器にベリールをなぞらえ「(ベリールの自然は)電子回路とは比べ物にならないくらい複雑」と語り、「自然の抵抗値が高い」と評しました。実際に現地に赴いた作家だからこそ出てくる言葉で、モネの制作姿勢やベリールを語ったのがとても印象的でした。
本展は、クロード・モネが印象派を代表する画家として、そのテイストをずっと持ち続けるとともに、生涯にわたって自らの絵画を革新し続けた画家であるという視点を核に据えている、これまでにない内容を、オルセー美術館ほかの名品でご覧いただける展覧会となっています。ぜひ、展示をお楽しみいただきたく思います。
テキスト:浦島茂世
ジャム・セッション
石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて
(2024年11月2日[土] - 2025年2月9日[日])展示風景