モティーフに最も近い場所で
─ノルマンディーと
フォンテーヌブローで制作した1860年代のモネ
最初のセクションでは、ジャン=バティスト・カミーユ・コローやウジェーヌ・ブーダンら少し前の世代の絵画と関連付けながら、1850年代の終わりから1860年代半ばにかけて、若きモネの自然主義的アプローチによる風景画が生まれた過程を辿ります。モネがその師ブーダンに出会ったのは1856年のことでした。モネは後年、過去を振り返る発言の中で、この出会いがいかに決定的であったかを語っています。 「自分が画家になれたのは、ブーダンのおかげです。」
写真室1:
モティーフと効果
19世紀になって画家たちがアトリエから出て戸外で風景画を描きはじめた頃、こうした動向に追随するように、1850年代に活動を始めて間もない写真家たちも自然と向き合って仕事をするようになりました。フォンテーヌブローの森は、画家と写真家の双方にとって戸外制作のアトリエとなっていきました。1860年代半ばにはモネもここで絵画制作を行っています。絵画と写真というふたつの表現技法による自然の活写は、その後の風景画の改革へと繋がっていくのです。
日本初出品
ギュスターヴ・ル・グレイ《フォンティーヌ・ブローの森、バ=ブレオの下草》1852-55年頃、オルセー美術館蔵Photo © GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / image GrandPalaisRmn / distributed by AMF
《かささぎ》とその周辺
─雪の色
モネは画家としての生の中で幾度も雪からインスピレーションを受けて作品を描いています。1869年に描かれたく《かささぎ》には、桃色や紫がかった葉、青みを帯びた灰色の垣根や黒いかささぎの影など、そこかしこに白という色についてのモネの探求の成果があらわれています。雪の積もった景色は、視界の凹凸を平滑にしてしまいますが、モネはここで浮世絵の雪景と同様に、繊細な色彩の面を重ね合わせることによって見事に奥行きを表現しています。
風景画と近代生活
─「飾られた自然と、都市の情景」(テオドール・デュレ)
パリの中心にあるサン=ラザール駅の近代建築はモネの好奇心を大いに煽ったようで、11点ないし12点の作品が制作されました。モネはそのうち8点を1877年の印象派展に出品し、印象派の風景画が担うべき現代的使命を明確に打ち出したのです。一方で、モネはこの駅から出る汽車を利用して簡単に行くことのできるパリ郊外アルジャントゥイユに1871年末から1878年の初めまで居を構えました。モネはセーヌ川沿いの行楽地の情景を描くとともに、工業化が進展しつつある側面にも着目しています。
日本初出品
クロード・モネ《昼食》1873年頃、オルセー美術館蔵Photo © GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / Franck Raux / distributed by AMF
1872年頃、オルセー美術館蔵
Photo © Musée d’Orsay, Dist.
GrandPalaisRmn / Patrice Schmidt / distributed by AMF
Photo © Musée d’Orsay, Dist.
GrandPalaisRmn / Patrice Schmidt / distributed by AMF
Photo © GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / Benoît Touchard / distributed by AMF
四季の循環と動きのある風景
─「ここが私のアトリエだ」
(クロード・モネ)
モネは1878年から1881年までパリの北西、セーヌ川沿いにあるヴェトゥイユに居を移しました。この土地でモネは庭の外れのセーヌ川の土手に画架を据え、移り変わる季節によって姿を変える自然を観察しました。アルジャントゥイユと違い、ヴェトゥイユは工業化を免れてはいますが、いたって平凡な村であるがゆえに気象現象が重要な要素として浮き上がってきます。同じ視点の繰り返しは、1880年代の連作風景画の初期の試みを先取りするもので、後年の睡蓮を予告しています。
オルセー美術館蔵
Photo ©GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / Jean-Marc Anglès / distributed by AMF
日本初出品
クロード・モネ《氷塊》1880年、オルセー美術館蔵Photo © GrandPalaisRmn (musée d'Orsay) / Sylvie Chan-Liat / distributed by AMF
Photo © GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
1880年代の風景探索
─「表現された感覚の驚くべき多様性と大胆な新しさ」
(オクターヴ・ミルボー)
1880年代、モネはしばしば家族を残してフランス各地へ出かけて風景画を描きましたが、国内はもとより、外国にも滞在しています。こうして各地へ出向くことで、モネはさまざまな地形や季節、光のもとで自らの芸術を試したのです。1886年9月から11月まで滞在したブルターニュ地方沿岸の島ベル=イルで、モネの関心は荒れ狂う海と波に翻弄される岩に向けられました。海を見下ろす構図は、モネの作品の中でも日本の浮世絵との類似性を最も容易に見てとることができるものでしょう。
日本初出品
クロード・モネ《ディエップ近くの断崖》1897年、オルセー美術館蔵Photo ©Musée d’Orsay, Dist. GrandPalaisRmn / Sophie Crépy / distributed by AMF
ジャポニスム
モネが自然と風景に対するアプローチを日本の美術、特に浮世絵から学んだことはよく知られています。20代半ばの1864-65年頃から親しんでいた浮世絵から、西洋画にはない自然の見方を培いました。ジヴェルニーの家には浮世絵のコレクションがあり、このコレクションを<睡蓮>制作の現場にまで持ち込んでいたといいます。 色づかいの鮮やかさのほかに、大胆な構図や地平線・水平線の配置、季節の移り変わりや連続性への配慮は、日本の浮世絵とモネの風景画との実り豊かな関わりを示したものといえましょう。
連作─反復─屋内風景
1890年代になるとモネはひとつのモチーフを単独で描くことはほとんどなくなり、ポプラ並木や大聖堂など同じテーマに基づく一連の絵、すなわち連作を描くようになりました。1892年と翌93年、ルーアンに数週間滞在して手がけたルーアン大聖堂を主題にした作品は、後に連作30点として結実します。モネの関心は建築の正面に向けられ、曇った日や晴れた日、夕べや朝など、光の具合によって色が変わる様が描かれました。
Photo © GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
Photo © GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / Adrien Didierjean / distributed by AMF
Photo © GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / Adrien Didierjean / distributed by AMF
写真室2: 効果と反射
—写真による風景、夢見た風景
1890年代の半ばから、写真家たちも撮影対象への従属から自由になることを求め、より内面化した形で風景にアプローチするようになりました。このセクションでは、写真の芸術性を高めようとした試み・ピクトリアリズムの写真家たちの作品を紹介します。 エマーソンの<睡蓮摘み>は、モネが同主題の作品を描いたのとほぼ同時代の作品です。
日本初出品
ピーター・ヘンリー・エマーソン《睡蓮の採取》1886年、オルセー美術館蔵Photo © GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
写真室3:
ジヴェルニーの庭のクロード・モネ
─エティエンヌ・クレメンテルの
オートクローム
このセクションでは、エティエンヌ・クレメンテルが制作したカラー写真・オートクロームをご紹介します。当時の通産大臣クレメンテルは政治家のクレマンソーの紹介で1916年にモネと出会いました。若い頃は自身画家でもあったクレメンテルは、アマチュアとして写真を撮っており、1920年頃、モネのもとを訪れ様々な画家の姿を撮っています。
日本初出品
《ジヴェルニーの自邸の前のクロード・モネ》1921年、オルセー美術館蔵Photo © Musée d’Orsay, Dist.
GrandPalaisRmn / Patrice Schmidt / distributed by AMF
Photo © GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / Adrien Didierjean / distributed by AMF
池の中の世界
─睡蓮
1883年、モネは終の住処となるジヴェルニーに腰を落ち着けました。1893年には水のある庭を造るため邸宅の南側の土地を買い足しています。池を描き始めたのは引っ越しから十年ほど経った1895年になってからですが、それまでと違い、自らの意思により造られた庭を描く、という新たな創造活動が始まったのです。 ジヴェルニーの庭は、植えられた花々の色にしても、緻密に練られた庭のプランにしても、池の造成にしても、自然に秩序を持ち込むものでした。1911年に妻のアリスを失い、1914年2月には息子ジャンが世を去るなどの不幸を経験した後、1914年に制作を再開したモネは、さらに大きなことを成し遂げたいと願い、<睡蓮>の大作に着手します。完成した作品群は1918年の第一次大戦の休戦協定を祝うために国に寄贈され、モネの死後、1927年にオランジュリー美術館に収められることとなりました。ここでは様々に展開した睡蓮の作品を展示するとともに、同時期に同主題を工芸作品で表現しようと試みたエミール・ガレや、ドーム兄弟によるアール・ヌーヴォーの工芸作品を併せて展示します。
Photo © Musée d’Orsay, Dist.
GrandPalaisRmn / Jim Purcell / distributed by AMF
日本初出品
クロード・モネ《ジヴェルニー近くのセーヌ川支流》1897年、オルセー美術館蔵Photo © GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / Stéphane Maréchalle / distributed by AMF
Photo © GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / Adrien Didierjean / distributed by AMF
Photo © GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
映像の中の風景
─動きのある風景
現代作家アンジュ・レッチアがクロード・モネにオマージュを捧げる映像作品を展示します。 1952年生まれのアンジュ・レッチアは、パリとコルシカ島を拠点に活動する映像作家・美術作家です。1986年にはヴェネツィア・ビエンナーレのフランス館においてフランス代表として出展しました。彼の作品は、世界中の主要な美術館に所蔵・展示されています。 睡蓮の池が着想源となる《(D’) après Monet(モネに倣って)》は、モネ自身、彼の家、睡蓮、そして「水と反射の風景」が、自然の観察(sur nature)と幻想のあいだで、見る者の心に残る連なりを形づくる、没入型の魅惑的な映像作品です。日本では初めての公開となります。 キュレーションは、オランジュリー美術館のセシル・ドゥブレ元館長(現、パリ国立ピカソ美術館館長)が担当しました。
アンジュ・レッチア氏 コメント
「クロード・モネゆかりの地、ジヴェルニーで撮影されたアンジュ・レッチアのビデオ作品『モネ』は、睡蓮、庭に咲く花々、池の水面の移り変わる光の反射を、ほぼ静止画に近いゆっくりとした映像で繋ぎ展開される。その中に時折姿を現す人物は、クロード・モネ自身だ。それはまるで、仕事をするためにこの世に舞い戻り、自分が描いた絵の舞台を徘徊する亡霊のようにも見える。やがて映像は、ゆっくりと庭園から画家の寝室へと移り、モネの想い出、光、そしてその不在を生々しく印象付ける道筋を辿っていく。」
関連年表
《クロード・モネ》1875年、オルセー美術館蔵
Photo © GrandPalaisRmn (musée d’Orsay) / Jean-Gilles Berizzi / distributed by AMF